衣川晃弘大先生の見聞会講話集「21世紀を幸せに生きる」第11巻より
2018年(平成30年)8月4日 ベストグループ道北道東地区見聞会 ③
それから一年経って(三十九歳)、顔がコロッと変わりました。訪問販売業で世界トップクラスにならせて頂いて、威張り出したのです。それまでは「皆様と見えない存在のお陰様です」と思っていたのですが、「俺は偉い」と言い出したのです。
道徳は大切だと思っているけれど、命の存在を忘れて、欲望に満ちた激(げき)性(せい)の心になってしまいました。その二年後に会社が潰れかけて、失敗者の心(鈍性(どんせい))に落ちてしまいました。
人間は欲望が強くなると、見えない存在を忘れるように創られているのです。四十三歳の時の顔の写真を見ると笑顔ですが、内面からパワーがありません。顔は笑っていても愛想笑いをしていました。道徳と命の大切さを忘れて、その日その日を必死になって生きている顔です。
貯めた会社のお金も全部無くしました。道徳と命の大切さを忘れた結果、人間に魅力がなくなり、人がついて来なくなりました。そして、「もう駄目か」というところまで落ちて初めて、見えない存在を求めました。そうするとまた、会社を立ち直らせて頂きました。
私は一度しかない人生を仕事のために生きようとは思いません。若い時は「仕事を通して社会や人のお役に立ちたい」と思いました。五十四歳で社長を引退して、「残された人生で人類や社会に貢献したい」と、本当に思いました。
一度しかない人生でいつまでも朝から晩まで働いても、体が疲れるだけです。ですから、どこかで仕事を引退して、「人生は一度しかないから、残りの人生を素晴らしいことに使いたい」というのが、高徳者ではありませんか。
その高徳者を日本人はとても好むのでしょう。日本人は徳のない人を嫌がるでしょう。徳のない人は見えるものしか信じないのです。高徳者は見えない存在を、まず信じるのです。それが日本人の特性ではなかったのですか。
「無私」というのは、エゴがないことです。自分のためではなく、社会や人のために動くことを「無私」と言います。「エゴ」というのは、自分のため、家族のためだけに動くことです。そういう方が今、多いのです。
自分の利でしか動かない方が、社会に出ても成功するでしょうか。人から信頼されるでしょうか。難しいと思います。では、無私の行為は簡単にできるでしょうか。それには訓練が必要なのです。
ベストグループの交流会活動は、無私の行為の訓練の場です。命につながると全てが解決するのです。どっちみち体は機械と同じように、どこか古びていきます。
しかし、命に守られている方と守られていない方とは違うということです。あなた方は命の存在を知らないから守られていないのです。命は凄い存在なのです。
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